【今週のみ言】孝情の光 全世界の希望に 天一国5年天暦1月9日(2月5日)05ー0872ー2


真の父母様の御聖誕日

堕落しなければ、真の父母が現れる前に、まず真の父が現れなければなりません。

今日、数多くの宗教では、自分たちの信じている教主が真の父になればと願っていますが、神様は、そうではありません。真の父という存在は、宗教の中の宗教 から生まれるのです。真の父は、真の子女をつくることのできる、真の子女を生むことのできる資格をもった人です。

全世界は、新しい歴史的展開時期を迎えます。きょう、この真の父母様の御聖誕日を祝うのは、歴史的な意義をもっています。統一教会の信徒はもちろん、霊界に行った霊人、統一教会の霊人、キリスト教の霊人、すべての霊人が祝うことのできる段階に入るのです。天運によって一つの道に行けるように、地上 の人間が道案内をしてあげなければなりません。今日、修行の道を信じ、宗教を信じる責任者がそれをしなければならないのですが、そのようなことは夢にも思 わず、盲目的な信仰をして天国に行こうという人が多いというのです。そのような意味で、きょう祝う真の父母様の御聖誕日は、天宙史的な意義をもつ日です。 今後は、父母様が生まれた日を本当に祝える人であってこそ、自分が生まれた日を祝うことができるのです。

五色人種の皆さんが、先生の誕生日を祝うためにここに集まったということは、驚くべき事実です。誰がこのようにしたのでしょうか。先生がしたのでは ありません。神様のみ旨がこのように導き、神様の愛がこのように導いたのです。他の人は知りませんが、統一教会の教会員の心の中にある神様のみ旨と愛を、 皆さんは知っています。世界が反対し、この国が反対しても、これを知る私たちは、このみ旨を成就させるためにすべてのものを犠牲にしても、感謝しながら最 後まで前進していかなければなりません。これが最高の価値あることなので、いかなるものも奪っていくことはできないのです。

「私」に近づいてくる試練がいくら大きいとしても、この試練を克服していかなければなりません。この世界において、価値のないものから、これ以上一時に侵 害を受けるようなことがあれば、「私」の生命を投入してでも防がなければなりません。私たちは、生命を投入して、神様の愛を訪ねていけることを誇らなければなりません。きょう、先生とお母様の生まれた日を祝ってくれることも有り難いのですが、その前に、このみ旨と愛の前にすべての五色人種が一つにならなければなりません。また、先生とお母様が一つになり、神様を賛美するその日であることを祝わなければなりません。

神様は、必ず歴史的な終末の混乱時代に、新しい歴史創建のための準備をせざるを得ません。ですから、第一次世界大戦を中心として世界的な問題が展開 すると同時に、その後の歴史において、世界的問題は世界人類の興亡を分ける方向に行くことを予測せざるを得ないのです。そのようなみ旨を中心として見ると き、西欧社会が没落に向かうならば、西洋思想が傾く道に向かうならば、神様は、必ずその反対の東洋を起点として、傾くことのない道を摸索されるでしょう。 地球が丸いがゆえに、太陽を中心として朝、昼、夕、夜と移り変わりながら巡っていくように、歴史も巡っていくのです。

西欧社会が滅亡に向かうとすれば、神様は、必ずアジア社会を中心として、新しい朝に向かう道を模索するでしょう。このように見るとき、今日、西欧社会が探 し求めているのはアジア文明です。それでは、東洋において神様は、いつからそのような準備を始めたのでしょうか。第一次世界大戦を中心として、これが始 まったのです。大概、大きな事件が起きたあと、三年以内にすべてのものが現れるようになるのですが、先生は一九二〇年に生まれたというのです。

先生が母親のおなかの中にいるとき、母は松の木の内皮をむいて食べながら過ごしたという話も聞きました。神様は、先生を愛しているように見えるので すが、生まれるときは、なぜそのように歴史的に追いに追われ、一番の患難の谷間に立てて責めたてたのでしょうか。先生が生まれるときは、私の家庭、一族が 困難に遭いました。先生は、蕩減法を知っているので、このようなことをすべて理解するのであって、そうでなければ、「それはすべて間違いだ」と言うでしょ う。私の家門の一家、従兄弟から七親等まで、すべて蕩減を受けるのです。私の家は、先生一人が生まれることによって廃虚のようになりました。先生が十五歳 になる前まで、そのような患難が家庭から離れませんでした。

地政学的に見るとき、韓国が強大国の侵略を受けながら、どれほど多くの血を流したか分かりません。そのような恨多き歴史過程において、どれほど多く の若い男性たちが軍隊に引かれていき、また若い女性たちが引かれていったでしょうか。願わない受難の過程において、家庭と個人が犠牲になり、男性と女性が そのように犠牲になり、国土が蹂躙され、国権が踏みにじられました。どれほど多くの侮辱を受けたか分かりません。

先生の一家を中心として起こった内的な出来事を見るとき、それが偶然にそのようになったのではありません。必然です。夢でもなく、どうすることもできない 必然的な結果です。そのため、アベルを中心とした蕩減歴史が、ある一つの家門を中心として、前後左右にすべて清算しなければならない摂理史的運命があるの で、その運命の場に呼び出されたのが、先生の家庭であることは否定できません。先生は、そのような背景をもって生まれなければならないのです。     「天聖経 11編」