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自叙伝書写とは
 ≪幸せを呼ぶ自叙伝心の書写≫
 ≪誰の自叙伝?≫
 ≪自分の心に書き写す≫
 ≪どのようにするのか?≫
 ≪運気を呼ぶ!幸運が向こうから近づいてくる!≫


心の書写の心得と手順


心の書写の意義


■白百合の会便り(PDF)

――――――――――― 新着ニュース ―――――――――――




自叙伝書写とは

≪幸せを呼ぶ自叙伝心の書写≫

人は誰しも幸せを求めて生きていますが、往々にしてつかめるのは幸せではなく不幸である場合が多いのではないでしょうか。幸せを蝶々にたとえてみると、なかなか蝶々を手でつかもうとしても、そう簡単につかめるものではなく、つかもうとすればすっとその蝶々は逃げて行きます。どうやら幸せを掴もう掴もうとしている人は、なかなか幸せを掴めない様子がそれに似ているような気がします。ところが花を見ますと、花は特に蝶々を掴もうとしているわけではありません。ただひたすらその場で、咲いているだけです。不思議なことに人間の手でも捕まえることのできない蝶々が、静止している花の方に近寄り、ついに止まってしまいます。つまり花は幸せを、掴もうとしたのではなく、引き寄せたわけです。なぜなら香りを放ち、美しく開いたからでしょう。美しいものとさいているものに、また香りのよいものに、幸せに象徴される花の方から近寄っていったわけであります。幸福はどうやら、掴む者ではなく引き寄せるものであるということがわかります。この観点を人間の幸せという観点に立ちますと、幸福も不幸も今のあなたの心の在り方次第ということになります。今のあなたの心のありまた次第が、幸せを引き寄せてくるんだと、あるいは幸せを呼ぶんだということになります。
ではどのようにしたら、幸せを引き寄せられる心を培うことができるか?このうちの一つの方法が、自叙伝心の書写であります。


≪誰の自叙伝?≫

その心を私の心に移植するということ、これが自叙伝心の書写というものです。繰り返して申し上げますと、移植という言葉がありますね。移して植えると書くではないですか。通常内臓移植といった場合は、自分の内臓はすでに動きは止まっていますが、他人の動く内臓を自分の方に移して植えるということを内臓移植といいます。心も同様です。困難の中に、喜びを発見する文鮮明先生の心を、自分の心に移植する行為、これが自叙伝心の書写であります。
 さて文鮮明先生は自叙伝の中で、こうおっしゃっています。言葉は魂でありますと。そして、言葉はすなわち人です、ともおっしゃっています。とすると文鮮明先生の困難の中に喜びを見出す魂、それが文鮮明先生の言葉に現れてきます。また愛によってあらゆる試練を越えてきた文鮮明先生の魂が言葉によってあらわれているともいえます。そこで、自叙伝に表わされた文鮮明先生の愛の魂を自分の魂、心に書き写す、これが自叙伝心の書写です


≪自分の心に書き写す≫

 その心を私の心に移植するということ、これが自叙伝心の書写というものです。繰り返して申し上げますと、移植という言葉がありますね。移して植えると書くではないですか。通常内臓移植といった場合は、自分の内臓はすでに動きは止まっていますが、他人の動く内臓を自分の方に移して植えるということを内臓移植といいます。心も同様です。困難の中に、喜びを発見する文鮮明先生の心を、自分の心に移植する行為、これが自叙伝心の書写であります。
 さて文鮮明先生は自叙伝の中で、こうおっしゃっています。言葉は魂でありますと。そして、言葉はすなわち人です、ともおっしゃっています。とすると文鮮明先生の困難の中に喜びを見出す魂、それが文鮮明先生の言葉に現れてきます。また愛によってあらゆる試練を越えてきた文鮮明先生の魂が言葉によってあらわれているともいえます。そこで、自叙伝に表わされた文鮮明先生の愛の魂を自分の魂、心に書き写す、これが自叙伝心の書写です。


≪どのようにするのか?≫

 では具体的に自叙伝心の書写はどのようにするのかということについてお話します。 ここに小冊子があります。声に出して読むことにより文鮮明先生の魂を言葉を通して自分の心に移植します。まず目を通して心に移植します。次に口に出し、耳に聞いたわけです。口と耳から文鮮明先生の言葉の背景にある魂を移植したわけです。ここまでは訓読とか読書といわれるものです。これをまず朝行います。そして移植という以上は、大概手術の場合手を使いますね。手を使って移植するわけですから、この言葉を自分の心を象徴した紙に書き移すのであります。白い紙は紙ではなくあなたの心です。自分の心に文鮮明先生の言葉を書き写すんだとうことです。文鮮明先生の魂からにじみ出た「 」という言葉を自分の心を象徴したこの紙になぞって書いていきます。文鮮明先生の平和を愛する世界人としての魂を自分の心に移植することを意味しています。読んで目と耳と口で自分の心に移植させ、さらには紙に象徴された心に書いて移植させる行為、これが心の書写です。良い言葉ほど簡単に心に入るわけではありませんので毎日書きます。私の魂に文鮮明先生の魂、神様の魂を移植して、私の心が神様のような心に変わっていく、あるいは平和を愛した世界人としての文鮮明先生の心に似ていく、という風になります。これが心の書写の目的なのです。


≪運気を呼ぶ!幸運が向こうから近づいてくる!≫

 私の魂が、どんな困難の中にも喜びを見出す魂になれば大きな福運がやってきます。すべては私の心が変わるか変わらないかにかかっています。気が付いたときに、自分の物の見方考え方感じ方が愛を中心に変わっていく、このことが一つの目標となっていきます。真の父母の立場に立っている文鮮明先生のように愛の魂に転換し、変わったとき、そこに運気を呼ぶことができます。気が付いてみると奥さんであれば今まで見つめていたご主人とは違う姿がそこに見出すことができるでしょう。お子さんであれば、今まで見つめてみたお父さんお母さんではない違うお父さんお母さんを見出すことができるでしょう。そして心の変わったあなた自身を見つめる周辺の人の心が変わっていきます。自叙伝心の書写により、心、魂に変革が起こり、天運を呼び、幸せを引き付ける魂となり、蝶々を引き付ける花のようになれるでしょう。



心の書写の心得と手順

@静かな心落ち着く時間(なるべく早朝)に行ってください。

A口をすすぎ手を洗い、準備します。

Bその日の御言葉を訓読します。(声を出して三度読んでください)

C一文字一文字真心を込めて書き写します。(用紙に写すと同時に心に書き写します)

D書き終わったら、願い事が叶ったことをイメージしながら瞑想します。

E書き写したみ言を生活の中で意識しながら実践します。(一日の終わりに気付きを確認してください)


心の書写の意義

・み言に自分の心を合わせる。

・神仏の心に似るため。

・心にみ言の種を蒔く、み言の苗を植える、み言を刻み込む。

・毎日書写する。

・邪心はみ言を妨げ、本心は受け入れる。

・継続しなければ、流れ去っていく。

・目、口、耳、手でみ言を蒔く。