【今週のみ言】天一国5年天暦閏5月1日 (陽暦2017年6月25日)


天一国天聖経p1192~抜粋

第二節 献金生活

1皆さんは、統一教会に入ってきて、蕩減復帰という言葉を学びました。蕩減復帰するためには、祭物的な条件が必要ですが、祭物を捧げるためには精誠を尽くさなければなりません。思いどおりにできるなら、どれほど良いでしょうか。自分の思いどおりにすれば、神様が受け取れないのです。話にもならないというのです。そのため、条件物は「私」の生命の代身です。「私」の代わりに死ぬのです。
ですから、その条件物と完全に一つにならなければならず、その条件物を完全に愛さなければなりません。それが死ぬとき、一緒に痛みを感じ、心の中で泣きながら祭祀を捧げなければなりません。アブラハムが子女を祭物として捧げたのと同じように、心情的に切っても切れない関係を備えた立場で捧げなければならないのです。このような立場で祭物を捧げるべきです。そのため、自分にとって一番貴いものを祭物として捧げなければなりません。物質を捧げるときは、皆さんが残した物を捧げれば罰を受けます。そのような物は、かえって捧げないほうがよいのです。

2十分の一献金の内容をみれば、そこには本当に恐ろしい内容があります。十分の一献金を捧げなければならないという聖句もあります。十のうち、一を神様に捧げなさいというのです。「なぜ十分の一の献金をするのか」と言う人もいるかもしれませんが、十分の一献金は、一だけ捧げたということを、十まで捧げたという認定を受けるものです。

9精誠を捧げ、恩恵を受けていく代価として、感謝献金をするようにしなければなりません。精誠のないお金は、天が願いません。精誠を込めたお金でなければならないのであって、ポケットに入れてあったお金を、そのまま献金してはいけません。三日以上身につけて供えて聖別し、それから献金しなければなりません。自分の生命、財産をすべて入れなければなりません。先生は、もっている財産をすべて捧げました。その捧げた物を通して、世界の物質が渡ってこれるように橋を架けるのです。そうすれば永遠に滅びません。永遠に生き残るのです。