【今週のみ言】天へ孝情、世界の光たれ 天一国4年天暦9月30日(10月30日)04ー0872ー29


本来アダムとエバが堕落せずに個性完成して結婚し、真の父母の立場を全うしていたならば、ここに「父母の日」が定まりますが、同時にこの日はアダムとエバが神の前に子女として完成することを通して、父母なる神の苦労をたたえて感謝し、孝誠を誓って神に慰めを返す日、すなわち「子女の日」となるべきでありました。

しかし,天使との不倫な関係によって堕落した結果、人類始祖アダムとエバは真の父母として立つことができず,そこから繁殖した子女たちも神が分からず、真の父母の愛も分からない状態に陥ってしまいましたので、お互いも兄弟姉妹として愛し合うことのできない姿となってしまいました。

それゆえ1935 年、復活節にイエス様から直接啓示を受けて立たれた文先生は、この蕩減のために生涯をかけて来られたのです。

すなわち家庭的カイン・アベルの一体化に始まり、氏族・民族・国家を超えて世界・天宙までの一体化を願われ、摂理を推し進めてこられたのでした。

幾多の想像を絶する十字架の道を、生きながらにして越えてこられた文先生は、「父母の日」に続いて1960年11 月19 日(陰暦10月1日)に「子女の日」を宣布されました。

「子女の日」とは勝利された真の父母が立たれ、堕落人間がそのお方の祝福を受けて再び生まれることのできる基準が世界的、天宙的に立った日のことであり、すなわち、人類がサタンの血統圏から神の血統圏に接ぎ木され、神の子として入籍の許される手続きがとられることになった記念すべき日です。

言い換えますと、堕落した子女が真の父母を、自らの選択によって選びとり、後の生涯をかけて、真の父母のために歩むことを宣布した日のことです。

「子女の日」宣布の御言(一九六〇・一一・一九〔陰暦一〇・一〕、前本部教会)

 

30 神様は、天地万物を造られたのち、アダムとエバを中心として「子女の日」を迎えなければなりませんでした。もしその時に「子女の日」を迎えていらっしゃったならば、そこから「父母の日」も立てることができ、「万物の日」も立てることができ、「神の日」も策定されたはずです。

それでは、この「子女の日」とはどのような日なのでしょうか。子女として勝利し、宇宙的な栄光の場に出ていけるようになる日です。しかし、人間の先祖が堕 落したので、アダム以降、全人類の中でいまだに神様のみ旨の前に一致した立場で勝利し、神様が許される栄光の立場に立った人は一人もいません。それで、そ のような立場に置かれている人間を復帰するための歴史、救援するための歴史、すなわち、再び以前と同じ立場に立てるための歴史が、今までの神様の復帰摂理 歴史です。「子女の日」は、この日一日が他の日と特別に違うから記念するのではありません。「子女の日」とは、堕落によって神様の栄光の場に同参できなかった人間が、歴史始まって以来、初めてそのような場に参与できるようになったことを、子女として記念する日なのです。

 

31 「子女の日」を迎えるためには、過ちを犯した子女が、過ちを正すことのできる起源において、神様と一つになるようにしなければなりません。誤った子 女の行動によって神様を失ってしまったことを正すことができる息子、娘が出てきて、「子女の日」を立てることによって、神様を探し出さなければならないと いうのです。神様を探し出せば、神様が栄光の場に進み出て喜ばれます。神様が喜ばれるので、息子、娘も喜び、万物も喜ぶのです。

34 堕落した人間にとって、名節の中の一番大きい名節は、「父母の日」よりも「子女の日」です。その日は、父母の権限を再び探し出す日であり、六千年 間、人類歴史を蹂躙してきたサタンを追い払い、勝利の旗を掲げて現れる日です。堕落した人間は、その日を迎えてこそ天の国に入ることができ、天の父母に侍ることができます。統一教会の教会員でも、教会員同士だけで行っては、天の父母に侍ることができないのです。橋を架けて侍らなければなりません。ですか ら、男性も女性も、霊界に行っている人々に橋を架けてあげなければならないのです。この日は、統一教会の教会員だけでなく、これから世界万民が永遠に守るべき日です。堕落した人間にとって最も福のある日が、「子女の日」です。         「天聖経 P1244」