【今週のみ言】真の御父母様御聖婚54周年 天一国2年天暦3月14日(陽暦2014年4月13日)第02-0872-11号


長成期完成級復帰
 解放直後から七年と七年、満十四年が過ぎたのち、聖婚式をしたのです。蘇生旧約時代、長成新約時代の基準を越えて、アダムとエバが長成期完成級で結婚したので、蘇生、長成の各七年の期間を越えて、完成蘇生級を連結させることのできる位置に出なければなりません。国家基準を越えなければならないのです。
 統一教会の群れを集めて、六〇年度に、全国に少なくとも百二十箇所以上の教会基盤を築いたのです。それは、世界百二十ヵ国の国家を代表しているのです。そこでどんなに国家的試練を受けても倒れずに滅びない、そのような基盤を築いてきたのです。そのような基盤のもとで、一九六〇年度に新しい聖婚式を挙げたのです。
 聖婚式をするのですが、その聖婚式は、自分の思いのまま女性一人を連れてきて、「します」と言ってできるものではありません。歴史を解かなければなりません。アダム家庭、ノア家庭、アブラハム家庭の縦的な二千年、そしてアダム、イエス様、再臨時代というように復帰歴史が流れてきたのです。お母様を選び立てるために、アダム、ノア、アブラハム以後、摂理史的に問題となった人物たち、歴史的に問題になったことに対して、蕩減条件を立てました。
 また、世界の有名な霊通人たち、霊界に通じる人々、仏教代表、儒教代表、イスラム教代表など、すべての宗派の代表たちが来て、私に敬礼しなければなりません。東方博士の三人がイエス様に敬礼したのと同じように、敬礼しなければなりません。そのように蕩減復帰は複雑で多様なのです。
激しい迫害の状況
 一九六〇年に行われた聖婚式の背後には、アダム以後、イエス様の時までの四千年、イエス様から今日に至るまでの二千年の歴史過程において、引っ掛かったすべてのことを、蕩減条件を立てて解決しなければならない内容がありました。それを準備するための一九五三年から一九六〇年までの期間は迫害の時期でした。その期間に、少なくとも三百六十万人以上の人から迫害を受け、三つ以上の教派と国家から迫害を受けました。
 イスラエルの国と、ユダヤ教と、イスカリオテのユダが一つになってイエス様を殺したことと、全く同じ運命に追い込まれたのです。その時が正に一九六〇年の四月です。その時は反対の絶頂でした。一歩さらに行けるかどうか、死ぬか生きるか、ここで新しく出発できるかどうかという、境界線に到達したのです。
 イエス様の十二弟子がイエス様を否定したのと同じように、統一教会に反対する輩たちも、ちょうど十二名だったのです。十二人が署名捺印して告訴をすることによって、先生は、裁判所に行って調査を受けました。その当時、建国大学から有名な学者たちがたくさん入ってきていたのですが、そのような悪い知らせを聞いて、地区長をしていた金正賓も荷物をまとめて逃げていったではないですか。その時、統一教会を支持せず反対したのです。
 お母様を迎える前日まで、内務部で調書を捏造されたりしながら取り調べをされました。それでお母様まで呼ばれていって戦わなければならなかったのです。イエス様が法廷で死んだので、法廷から取り戻してこなければなりません。蕩減復帰です。十一時に法廷で殴られながら、朝の三時に結婚式を始めました。そのような闘争のまっただ中において基準をつくったのは、万人の平安と喜びの幸福の基台をつくってあげるためなのです。
 それは誰も知らないのです。劉協会長はそのような意味では功労が大きいのです。そのような局面で、一九六〇年四月十一日に聖婚式が行われることにより、一つの峠を踏み越えて上がるのです。そこからサタンたちが屈服し始めるのです。
四十歳の峠を勝利
 先生がそのまま満四十の峠を越えれば大変なことになります。それで大急ぎでしたのです。それを偶然に越してしまうようになれば、すべてのものが、ぼとっと落ちてしまうのです。どれだけ深刻だったか、皆さんには分からないことでしょう。復帰路程で、この四十数を越えることがどれだけ重要な一つの峠であるかということを、皆さんは原理を通して学び、みな知っていることでしょう。四十の峠を越える時までは、死んではなりません。へたばってもならず、後退してもなりません。どんなに追われ追われても、最後まで前進しなければなりません。
 怨讐に出会うその峠ごとに「私が倒れてはならない。私が死んでは駄目だ。私が死ねばこのみ旨を誰が立てるだろうか。どんなに苦労をしたとしても、四肢が切られ不具になり、伏して生きるとしても、私は死んではならない」と、どれほど心の中で念を押したか知れません。
 ゆえに先生は、死なずに四十の峠を越える日を待ち焦がれ、歳月が早く過ぎ去ることだけを黙々と願いました。「青春よ、早く過ぎ去れ。歳月よ、早く過ぎ去れ。自分にあるすべての宝物が奪われるとしても、来たるべき四十の峠で私は、敗者とならず勝者になるんだ」と思いつつ歩んできたのです。また、それは先生の宿願であったのです。

小羊の婚宴
 黙示録に現れた小羊の婚宴とは何かというと、私たち人類が堕落によって、神様の愛を受ける真の父母を失ってしまい、堕落した偽りの父母をもつようになったがゆえに、神様が人類歴史の終末時代に真の父母を探し出し、神様を中心として人間の先祖として結婚式をしてくださるということなのです。創世記はアルファです。人間はアルファで落ちたので、黙示録であるオメガに行って合わせるというのです。
 それでは何ゆえ、父と母が今日、私たちに再び必要なのでしょうか。私たち人間は堕落によって過って生まれたので、再び生まれなければならないためです。それで「重生」、すなわち生まれ変わるという言葉があるのです。皆さんは、生まれはしましたが、父母もなく生まれたのと同じ立場です。それゆえに、もう一度、母の腹の中に入っていき、出てこなければなりません。これが今までの救いの歴史なのです。
 先生が聖婚した一九六〇年四月十一日、その日は何の日ですか。その日、聖婚式を挙げた日は、他のBとは全く異なるというのです。現れたものは簡単に見えますが、それが全体を集約させた代表的な核となるとき、歴史はその日を研究するようになるのです。六千年の間、天が願ってきたアダムが来て、この地上で蕩減を果たし、一九六〇年度に聖婚式を挙げたというこの事実が、どれほど途方もない事実かということを皆さんは知りません。天から見る時、どれだけはらはらし、生死を分ける薄氷を踏んでいくような、どんなに息の詰まる、そのような期間であったことでしょうか!
 聖婚式は一個人のことではありません。世界史的なことです。そのような世界史的な神様の摂理に対して、そのような心情的起源を総合した場で、誰よりも愛する一つの家庭的起源を宣布するというとき、その家庭的起源を中心として天倫は、天地の運勢は、動かざるを得ないのです。
 一九六〇年度に家庭という基盤をもったので、滅びないというのです。家庭基盤をもつことができなかったならば滅びるようになるのです。一九六〇年度の聖婚式がどれだけ歴史的な事件だったことでしょうか! 今まで六千年の間の摂理歴史時代で、アダム一人を探すために苦労したその基盤の上に、アダムが地上に基準を築き、エバを完成した女性として迎え入れることができるということは、霊界と肉界に分かれたものが初めて地上世界に連結されるということなのです。男性は天の代身であり、女性は地の代身です。分かれた霊界と肉界が連結されるのです。アダムとエバが怨讐だったその群が崩れるのです。アダム・エバと神様が会えなかったこの群が崩れるのです。サタンが抜け出ていくというのです。
                          -真の御父母様生涯路程3-