【今週のみ言】天一国憲法の必要性 天一国2年天暦3月7日(陽暦4月6日)第10号


 神は、真の愛の本体としておられ、人類にとっては無形の真の父母であられます。愛は一人では成り立ちません。必ず相対を通して結実します。人間は、神の真の愛の実体対象としてつくられた子女です。
 神は、人間に「生めよ」と言われた第一祝福を下さいましたが、その祝福は、人間は真の愛の完全な相対、すなわち真の人になれというものでした。だれもが自分よりも相対が優れていることを願います。
 神は真の愛の相対である人間に対し、投入して忘れ、さらに投入して忘れながら、無限に与えたいと思う父であられます。愛の出発は無限に、為に生きるところから始まるからです。
 神は、人間に「ふえよ」という第二祝福を下さいました。人間始祖は神の子女として育って完成し、神と心情圈の一体を成して真の夫婦とならなければなりませんでした。さらに彼らは、神から相続した真の愛、真の生命、そして真の血統を子女に伝授する真の父母とならなければならなかったのです。
 このように神の創造理想は、人類の最初の家庭から、縦横に真の愛の完成をなすことでした。神の愛が絶対、唯一、不変、永遠なものであるように、神に仕える家庭も真の愛を中心として、絶対、唯一、不変、永遠でなければなりません。
 ここから人間は神と一心一体となった実体となり、完全な自由と幸福、そして平和の理想を完成するようになります。このとき、人間は宇宙万象に歓迎される真の愛の主管主となるのです。
 これが神の人間に対する第三祝福です。第三祝福は、人間が万物を主管しながら、幸福な生活条件を備える祝福です。それは生態系と自然を真の主人の立場で保存しなければならない管理の責任も含まれているものです。
 ところが、人間始祖は神の真の愛の家庭を築くことができませんでした。真の愛を中心とした真の人、真の夫婦、そして真の父母になることができなかったのです。
 人間始祖が神に逆らい、堕落し、楽園から追われた後、神の祝福とは何の関係もない偽りの愛を中心として夫婦となり、子女を生み、今日の人類世界が形成されました。
 有史以来、人類は神に侍る真の愛の基盤から生まれることができず、心と体が葛藤する矛盾を抱えたまま生きてきました。その葛藤は、人間始祖の最初の家庭で、兄弟間の憎悪と殺人という悲劇として現れました。神を離れた家庭の悲惨な実状でした。
 人間が中心となった家庭、人間の関係だけを基礎とする家庭は本然の理想家庭ではありません。神と垂直的な真の愛の軸と連結された家庭が理想家庭です。そのような真の愛の縦的な軸を共有する兄弟間に完全な和平の関係が築かれます。
 真の愛は理想家庭の中で体得され、結実します。家庭は唯一の愛の学校です。真の愛は権力や知識、あるいは力ではつくり出すことができません。
 尊敬する各界の指導者の皆様、皆様が今日の世相を見渡すとき、また、若者たちに接するとき、何を感じますか。希望に満ちた明るい未来だけを感じますか。
 日ごとに増加する若者の犯罪率、暴力と麻薬乱用、不倫と退廃、十代の未婚の母の問題と価値観の混沌などにより、未来社会を否定的に予測し、苦悩することが多いことでしょう。なぜ若者がこのようになったのでしょうか。
 もちろん、より良い学校教育や制度と環境の改善も、部分的な解決策にはなるでしょう。しかし、根本的な解決策はそのようなものではありません。真の愛の最初の家庭を失った人類が、歴史の結実期を迎え、家庭が崩壊しつつあるからです。
 そのような家庭の崩壊現象は、唯一の愛の学校が破損することと同じであり、その否定的な波及効果はとてつもないものです。それが社会的に様々な不安要因となるのはもちろん、国家的、世界的に多くの問題点を併発します。特に青少年たちには情緒的な不安を感じさせることにより、生の座標を失わせ、脱線と放縦の直接的な原因となったりもします。
 結婚を忌避する現象や離婚率の増加など、家庭基盤が急速に破壊する現実は、将来を憂える指導者たちが先頭に立って必ずや解決すべき課題であると言えるでしょう。

 神の第一祝福と第二祝福を失ってしまった人類は、神聖であり永遠な夫婦の愛を実現することができる真の愛の重要性が分かりません。
 また、青少年たちは、婚前純潔と真の愛を中心とした人格についての教育を受けることができません。ですから、喜びと幸福、そして理想の根本である真の愛の価値が分からないのです。
 今まで人類社会は、夫婦間の信義と貞節が軽んじられ、結婚の神聖さが無視される風潮の中で、とてつもない悲劇と災いを内的に蓄積してきました。
 男女間の愛が刹那的なものであり、肉的であり、そして享楽的なことだけに走るフリーセックスと世俗の文化の中で、真の愛は立つ瀬を失いました。急速に拡大するエイズと性行為感染症(STD)は人類の生存自体を脅かしています。
 エイズからの安全地帯はないといいます。今、世界を震撼させているテロリズムよりも恐ろしい脅威が、私たちすべての間近に追っているのです。一度、エイズに感染すれば、幸福と理想、そして生命もすべて放棄しなければならないという災いを解決できなければ、私たちはどうして、この時代の指導者ということができるでしょうか。
 また、「万物を主管せよ」と言われた神の第三祝福の前でも、人間は真の愛の管理責任を果たせずにいるのです。万一、自然が人間の虐待に対して反抗し、人間を拒否したとすれば、どうなるでしょうか。既に、そのような兆候が出ているではありませんか。
 生態系と自然環境が無言のうちに、人間の傲慢さに懲罰を与える前に、人間は真の愛の人格を回復して、万物の前に現れるべきです。
 尊敬する各界の指導者の皆様、今日の問題をもう少し根本的に掘り下げて調べてみるために、神の創造理想を中心とした、真なる「私」と「私たち」の関係について考えてみようと思います。
 人間は堕落によって真の「私」の位置を探し出すことができかったので、神も「私たち」という言葉を使ってみることができませんでした。創造理想的な意識圏内に立つことができる神ご自身が「私のもの」「私の子ども」と言える、そのような関係を結ぶことができなかったのです。
 したがって、私たちがもっている「私」という概念は、神の本来の創造理想とは、何も関係がないものなので、私たちは完全に自己否定しなければならないのです。
 神はご自身が安心して「私たち」と呼ぶことのできる真なる男性と真なる女性、すなわち神の真の息子、娘を探し求めて、復帰摂理を展開してこられたのです。
 神は愛の主体であり、生命の主体であり、血統の主体であられるだけに、永遠に一体不可分の基準に立っている、そのような真の息子、娘を探し求めてこられたのです。私たちはまず、心と体の統一によって個人完成し、その基盤の上に神と父子間の縦的関係を樹立しなければなりません。
 しかし、縦的な関係だけでは「私たち」という言葉は成立しません。そこには必ず横的な関係が調和を成さなければならないのです。したがって、男性と女性が、真なる祝福結婚を通して真なる夫婦関係を結び、子女を生んで真なる家庭を築き、三代を中心として四位基台を完成すれば、初めて天は、家庭単位で「私たち」と呼ぶことができるようになるのです。
 ならば、私たちはどのようにすれば、そのような位置まで進むことができるのでしょうか。神は、心と体が完全に一つになった立場で万物を創造されました。それは絶対愛と絶対信仰を中心とした絶対投入でした。
                    講演文 - 神と人類が求める平和の国と世界 -