【今週のみ言】第一次40日特別精誠路程 天一国元年天暦8月11日(陽暦9月15日)第29号


皆さんの「環境創造」は伝道

  私は、幼い頃には復帰摂理歴史を理解していたとお話ししました。私の歴史の中で「環境創造」がすでにできていたので、誰かに言われなくても自ら理解できたのです。

そして真のお父様にお目にかかって、私の当代において、この復帰摂理を完成しなければならないと決心したのです。どんな困難があったとしても成し遂げ、私ができなければ、私の子孫が成し遂げなければならないのです。後代のための「環境創造」を一生懸命にしました。

 皆さんが責任を果たせなければ、蕩減というものが生まれます。それはどうしようもないのです。ですから言いました。驕慢にならず、感謝する心で生活しなさいと。天の前でも、兄弟の前でも、真に感謝できる心が起こるようになれば平和が訪れます。自分が自由になります。拘束を受けなくなります。このように良いことを、皆さんの父母も皆さんも理解していなかったようですね。

 堕落以後、6000年の復帰摂理歴史路程をたどりながら再臨のメシヤに出会うまで、霊界は暗黒でした。そうあるしかありません。堕落以降、そのまま生きて血統転換もできず霊界に行ったわけですから、真暗な霊界にいるしかないでしょう。清平役事だけを考えてもそうです。誰によって善霊界が生じるようになりましたか。再臨のメシヤを通して善霊界が生まれたと言いますが、実質的に働く人が必要ではないですか。

そのような準備もなく、準備された環境なしにお父様が逝かれるようになったとしたら、1から10までお父様が、みなご苦労されなければならないのです。お父様は救世主として来られましたが、準備されたキリスト教の基盤が、主を迎えることができなかった時、お父様はどのようにされましたか。地獄のような環境から出発されるしかなかったのです。

 皆さん二世たちは統一家の中心に立っています。その根がはっきりと分からなければならず、皆さんも環境を創造しなければなりません。「環境創造」とは、簡単に言えば伝道です。伝道!分かりましたか。

 霊界は、愛の空気を呼吸する所でしょう。皆さん方が地上で責任を果たせずに逝くようになれば、それだけ皆さん方が、永遠の世界で呼吸し、生活できる環境が狭くなるでしょう。

 皆さんの中には、牧会の第一線で働く人もいますが、違う環境で働く人もいるでしょう。そのことを問わずに伝道しなければなりません。その道だけが、皆さんが讒訴を受けない道であり、方法です。そのことを理解しなければなりません。

         「基元節勝利のための統一教二世真の父母様特別集会」2012年12月12日

今日の我々の立場
 ここにおいて、今から固く決意し、敗者の悲痛さがどれほど悲惨なことかを感じつつ、一日一日の生活を固く決意しながら、そのような悲惨な場には歯を食いしばってでも私が落ちてはいけないと――きょう一日を勝利の道を目指す同志の隊列に歩調を合わせて、目的意識に徹することのできる場として、固く決意して行くことのできるような人になるならば、その時間の中で無限なる喜びと、無限なる痛快感を感ずることができます。
 これを感ずることができない人は、希望と勝利の夢に奥深く染み込んで、それを夢みて、それを願うけれども、それがそのように容易に社会に現れることができないというのです。そのような人は、疲れてへとへとになり、後退するようになっているのです。このように、敗者の結果を体験する自我の立場で、勝利の決定場を仰ぎ見る天の勇士たちになることを、皆さんは固く決意しなければならないのです。
 先生はこの道を出発するとき、既にそのようなことは皆、固く決意しました。皆さんが万一、摂理の御旨の前において願われていることを成すことができないときは、私はどこに行くのか? このようなことを知って、最後の談判下で御旨の道に臨まなければなりません。その場がどれほど悲惨であるか? 六千年史の悲しいこの絶頂において、我々は再爆発しなければなりません。そうでなければ、預言者や先烈たちが流したすべての血が空しくなるのです。歴史の峠の道において、忠孝の道理を果たした美徳を明らかにしながら、善の目的を指向してくる中にあって、実績を収穫したすべてが破{は}綻{たん}するのです。その場がどれほど悲惨でしょうか?
 その場に行くとき、どれほどか恐ろしく、どれほどか残酷であり、どれほどか震える心になるほど、熾(し)烈(れつ)な闘争の中で、いかなる怨讐の矢が迫ってくるとしても、その悲惨なる事実に勝つ以上の心情を貫いていかない限り、絶対に環境を開拓することのできる動機となることができないというのです。
 我々が行かなければならない道がそれであり、我々がしなければならない仕事があまりにも多いのです。手足が千や万あっても足りません。このような場に、体全体を抱いて踊ることのできる勝利の結果をもたらすことを固く決意する一方で、自分自身があまりにも足りない、弱い者であることを感ずるのですが、そうかといって我々がためらい、傷心だけするのではなく、万一敗北する日にはどのようにするのか? ただただ、このことを前もって心の中に体験しておかなければなりません。
 きょう、新年の初めに、勝利の世界の輝かしい希望に溺れることも必要であろうけれども、それを自分のものにするためには、その絶対的な要因が我々になければなりません。そうである以上、皆さんはこの時間に敗者の悲痛さがどれほど悲惨であるかということを感じなければなりません。これは、このような環境を解決するのに絶対的に必要なのです。
 何かの仕事をしようとするならば、例えば、皆さんが人工衛星を作って発射するとしても、その場所がケープ・ケネディならばその基地において、人工衛星を発射するためには、どれほど苦労をするか? そこには、栄光も何もありません。それこそ悲惨な過重の中で呻吟して、固く決意するそのような場面を克服しながら、成功の一時を仰ぎ見つつ、悲惨なる峠に当たれば当たるほどその目的が成就されたときのその喜びは、天下で他に味わうことのできない喜びになるのです。
 皆さん、我々統一教会の食口は、そのような場を経て行ってでももう一度、この任された使命期間の間、力強く行かなければなりません。
                       - 全面的な進撃をしよう - 1968.1.1