【今週のみ言】救国救世天が探し求めた7年路程 天一国4年天暦2月19日(3月27日)04-0872-6


「夫婦同士楽しく生きるのもいいですが、その中心思想は何にならなければならないでしょうか。国のために・・・。自分がよく食べて幸せに暮らすからといって、喜ぶことはできません。国が喜ぶことのできるその日を迎える前に我々が喜んだとしても、その喜びはサタンに審判され得る喜びなのです。その嬉しいことが、却って神様の前に恨みになるかもしれず、歴史的過程において嘆息の条件として残るかもしれないのであって、嬉しく、幸福で楽しいものにはならないのです。国を求めてから、神様が保護されるその国の中で、その家庭と、その氏族と、その民族が一遍に喜ぶことができなければなりません。・・・その時まで、我々は休もうとしても休むことができず、喜ぼうとしても喜ぶことができないのです。」(「神様の摂理から見た南北統一」1058pより)

 

「神様が国を救うことよりも、家庭を救うことを願われるでしょうか。神様は、世界の救援が目的なので、たとえ家庭を犠牲にしても、神様の民族を探し立てようとされるのです。これを知らなければなりません。神様の救援の目的は、民族よりも国家を願われるために、民族を犠牲にさせ、白衣民族を犠牲にさせてでも、大韓民国を独立国家として立てようとなさるのです。そのような神様の国はありません。国家を犠牲にさせてでも、世界を救おうとされるのです。この地上の世界を犠牲にし、永遠の霊界に行ったすべての霊魂を解放しようとします。さらには、神様自身が解放されなければなりません。」(訓教経下巻「根本思想」より)

ところで、皆さんには国がありますか。そうでないことを思う時、死のうとしても死ねないのです。死んだらどこへ行くのかというのです。霊界に行ったときの恥ずかしさをどうしますか。私の生命の年限というのは制限されているのですが、その期間内にしようとするのですから、どれほど忙しいですか。それに邪悪なサタンの環境は我々に反対し、怨讐たちは我々の道を妨げているではないですか。それを乗り越えて行こうというのですから、いつも密使のような行脚の路程を避けられないのです。これが統一教会の食口たちが行かなければならない道であることを、皆さんは知らなければなりません。(五〇―二五二)

私が行き来するのも、その国を探し立てる祖国光復のための建国の功臣になるためです。そのような使命を負い、あるいは天の密使として指令を受けて、今日、悪の世にきて、このようなことをしているという事実を考えながら生きていかなければなりません。そうでなければ、皆さんがこれからできる国の国民として、その威信と面目を立てることができないことを知らなければなりません。(五〇―二五五)

皆さんは個人的な影響を与えたいですか。家庭的な影響を与えたいですか。国家的なのか、世界的なのか、どのように影響を与えたいのですか。(世界的に……)。ところが、世界的な舞台に上がれば、一人ではだめなのです。国がなければならないのです。ところで、皆さんに国があるでしょうか。(ありません)。

我々は祖国を探さなければなりません。祖国を得るためには、祖国のために生きなければなりません。祖国のために生きられない人は祖国を得ることができません。それでは、どのように生きれば祖国のために生きるのでしょうか。世界を自分の祖国と思って、世界のために生きなければなりません。そのような人が祖国を創建できるのです。食べて、寝て、歩く、すべての生活と行動が祖国創建のためのものにならなければなりません。

ですから我々は、白昼に共産党が振り下ろす刀を受ける覚悟をもって闘っているのです。この民族ができない時には、我々がしなければなりません。この民族が行くことができないので、我々が行かなければなりません。そうするためには誰よりも祖国を愛さなければなりません。御飯を食べても祖国のために食べ、結婚をしても祖国のためにするのです。我々の祖国のためなのです。(三六―一八五)  「神様の摂理から見た  南北統一」