【今週のみ言】天の父母様が願う人 天一国元年天暦5月15日(陽暦6月23日)第17号


そうするにはここで、神様がいかなる方なのかということを知らなければならないというのです。神様が何を好むかというのです。神様が権力を必要としますか、お金を必要としますか、知識を必要としますか。神様は永遠な生命をもった御自身の対象的な価値的存在を必要とし、愛をもった人と理想的な人を必要とするというのです。神様が必要とすることは、この三種類しかないのです。

 一つの木があるとするとき、その葉っぱは間違いなく根と通じることができ、幹と通じることができ、枝と通じることのできる素性をもった自体になっているというのです。結局、私の生命は神様と直結するというのです。父母と直結したのではなくて、私から始まったのではなくて、神様から直結した私だということを発見しなければなりません。

 では頂上にある葉と、一番下にある根と関係がありますか、ありませんか。関係があるというのです。全体的に関係があるのです。それなのに木の一つの葉の立場で「私だけが一番だ!」、これでいいのでしょうか。そこに私が必要である前に、小さな枝がより必要であったということを知らなかったというのです。また小さな枝ならば葉も必要であり、より大きい枝が自分より必要だということを知らなかったというのです。また、大きい枝が「幹は私に必要ない」と言うならば、それが自分よりもっと必要なことを知らなかったというのです。また、幹は自体として「私が一番だ。枝も葉も根もみな必要ない」と言うことができますか。そのようにはできないのです。それでは存在できません。幹がどんなに立派だとしても、根が自分より偉大で大きいということを知らなければなりません。

 木の生命は、根があってこそ存続します。根は生命の起源であり、永続的に生命が存続できるようにするのです。では人間世界はいったいいかなる所でしょうか。一つの木に例えれば、霊界というのは根と同じです。それゆえ人は、天地を連結させる歩みをしなければならないというのです。そのような観点で、私たち人間はこの道を尋ねなければなりません。

 男性が「女性は必要ない。男性が一番だ」と、そう言えますか。それでは存続することができないというのです。そのようにすれば一代で終わるのです。一代で終わりになるのです。それゆえ男性が貴いと同時に、女性がもっと貴いということを発見しなければなりません。また、女性もそうなのです。女性は、女性が貴いと同時に男性がより貴いということを発見しなければなりません。互いに貴い存在だということを発見しなければなりません。それはなぜでしょうか。互いにいたわり合い、互いに力づけてあげ、互いに刺激を与えることができてこそ根(基礎)となるので、木は生い茂り、育つはずです。

 皆さんはただ「おお、私が一番だ。葉のような私だけが一番だ」というのですが、葉があるためには小さな枝が必要なのと同様に、私たちは枝がもっと必要なことを知らなければなりません。

 そのような観点で考えてみれば、枝のようなものがお母さん、お父さんだというのです。ではお母さん、お父さんだけが一番ですか。お母さん、お父さんの上にはもっと大きな枝があるというのです。それが一つの氏族、すなわち親戚関係です。そうしてだんだん大きくなれば一つの国家になるのと同様に、氏族ならば氏族よりももっと必要で、より価値的な存在が何かといえば一つの幹、国家ではないかというのです。

 では幹が一番ですか。違います。根が一番です。それよりももっと貴い根があるということを知らなければなりません。正常な生命をもつことができる葉になろうとするなら、私よりも大きい枝、私よりも大きいもう一つの枝、私よりも大きい幹、幹よりも大きい根を所有しなければなりません。そうでなくては、正常な葉としての生命を維持できないのです。

 そのように見れば皆さん自体は何が必要でしょうか。「私が必要だ」というのは答えではありません。私に必要なのは父母だ、その次に父母に必要なのは先祖だ、このようにならなければならないのです。こうして一つの国家形成の起源をたどっていくようになれば、幹のような国家を形成できる伝統的思想とか、その形態があるのです。国民が団結できる形態、国家というのがあって、国家を探して上がっていくようになれば、根があるのと同じ価値がなければならないのです 

- 訓教経 下 -