【今週のみ言】第49回天の父母の日天一国3年天暦12月29日(陽暦2月7日)03-0872-44


真の神の日

人間が最も願うお祝いの日、希望の日があるとすれば、その日は自分が生まれた日でもなく、自分が結婚した日でもありません。自分の国を失った国民の一人として国を取り戻した、もうしくは国家がと独立日でもありません。人間が最も希望する日、願う日があるとすれば、「神の日」と「父母の日」です。その日が地上に生じることこそが、私たちの全体の願いになったというのです。「神の日」と「父母の日」が始まれば「子女の日」「万物の日」は自然に連結されるのです。

今日この地上に暮らす人で、「神の日」を見た人は誰もいません。「父母の日」を見た人もなく、被造世界のいかなる万物も見ることも出来ませんでした。一年365日が連結されるすべての日の中で最も重要な費が、すべてのものが解決される「神の日」と「父母の日」だというのです。その日は日の中で王の日であり、そのような年があれば、その年は年の中の王の年だというのです。

真の父母を復帰する前には、即ち堕落していないアダムトエバの家庭を探す出す前には堕落していない子孫ももつことができず、堕落していない万物世界も持つことができません。人間が万物の世界を思いのままに主管できる立場に立たなければ、神様の神様としての振る舞いができません。それで1960年を中心として「父母の日」を策定し、「子女の日」と「万物の日」を策定したのです。父母がいてこそ子女がいることができ、子女がいてこそ万物を主管することができるのです。万物を主管するためには生育して繁殖し、地に満ちなければならないのであって、アダムトエバが、二人だけで主管するようにはなっていません。子女は横的な基盤であり、父母は縦的な基盤です。そのため父母は地上において神様の代身者です。このような縦的な基台を備え、万物を主管するようになっているのです。それで統一教会では「父母の日」立てた後に「子女の日」を立て、「子女の日」を立てた後に「万物に日」を立てました。「父母の日」と「万物の日」、そして「子女の日」は堕落圏にあるのではなく、神様の主管圏内にあります。即ちサタンの讒訴圏を抜け出した位置にあるというのです。そのため、神様と直接的な関係を結ぶことが出来るのです。

1960年はアダムとエバが堕落した長成期完成級の基準を超えた年でした。長成期完成級の基準を中心に完成圏まで上がっていくには、七年期間が必要です。それが第一次7年路程でした。完成基準に立てば、神様の直接主管圏に入ります。そこには内外共に直接なので、心情生活圏もやはり直接主管できるのです。その完成基準を残したまま祝福した年が1960年でした。アダムの堕落によって堕落圏、すなわちサタンの主管圏にいたのですが、このサタンの主管圏を破壊する家庭が現れたので、この家庭に対してサタンは総攻撃をして来ました。しかしサタンと闘い、ぶつかって追い出し、蕩減して「神の日」、「子女の日」、「万物の日」、「父母の日」、この4大名節をこの7年間に探し立てたのです。

「神の日」の決定と同時に、地上に神様が人在できる基準を立てることが出来ました。ですから、これから統一教会の発展は、地上において急速に促進されるでしょう。このような基準を成し遂げたので、統一教会は真理を中心として、霊界解放と共に、地上解放、そして地獄解放へと発展して行くので。すなぜなら「神の日」を迎えたその時から地獄が破壊し、サタンも滅亡するしかない立場に行き着くからです。それで、「神の日」の決定と同時に、先生の使命は完成したのです。

「神の日」が現れるまで、どれほど大変だったか分かりません。「神の日」を策定した時が最も大変でした。いくら「父母の日」が立てられたとしても、その「父母の日」を支えられる「子女の日」がなければ、「父母の日」は「父母の日」として役割を果たせないのです。また「子女の日」を立てたとしても「万物の日」を立てなければ「子女の日」が「子女の日」として責任を果たせません。そのために「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」が完全に一つになって、神様の主管を受けなければなりません。このようにできなかったのが嘆息の要因です。これを連結されるために立てたのが、1968年1月1日に世界的に宣布した「神の日」です。        『天聖経 礼式と名節』

一九六七年最後の日

 皆さんも知っているように、きょうは、一九六七年最後の日であると同時に、最後の聖日です。その上この日は統一教会において、七年路程という非常に長くてうんざりするような期間を越える最後の日です。また、先生においては、み旨に従ってきてからの満二十一年を締めくくる最後の日でもあります。

  一九六七年のこの最後の日自体は、私たち統一教会が願った勝利の日として、喜びと賛美の日として迎えることができるよう待ち望んでいたことでしょう。また、私たち自身も、心を開いて神様をたたえ、勝利者の栄光なる姿をもって、この日を迎えることができることを待ち望んでいたはずです。この日はこのように重大な日です。

  苦労をする時、先生に代わって責任を負って苦労するようになれば、先生と同じ立場に立てるようになるのです。それゆえ皆さんが七年路程の初めの戦いに加担し、真なる者として神様の前に責任を全うし、涙を流し、血と汗を流したことがどんなに貴いことであるかを知らなければなりません。                『真の父母様生涯路程4』