【今週のみ言】私の人生において最高の年にしましょう 天一国2年天暦2月2日(陽暦3月2日)第5号


最高のものを占領しよう
 あんたたちは久保木会長より偉くなりたくないの?(なりたいです)。なりたくない者は死んでしまえ。だから久保木会長の頭に乗っかって行きなさい。先生より偉くなりたくないの?(なりたいです)。先生の上に乗っかってやれ。事故なしに上がれ。副作用なしに上がりなさい。もし、いけないと言う者は独裁主義者である。分かったの?
 絶対の神は、最上の神の愛を持った人。神は誰のためにあるや? 神のためにあるや、その論法が成立するの? 神様も相対者のために愛を持つのであって、自分自身のために持つのではありません。愛の裏づけから見ればそうだよ。そうだったら、その愛は誰が占領するや? それは決まり切ったことだよ。神様の奥さんでなければ。奥さんがいることを聞いたの? それはそうでない。話も聞いたこともない。しかし、神様の子供がいることを知ったんだね。人間から研究された最高の位置、もしも人間として神様絶対ならば、神様が愛の主体ならば、その主体の前に相対者の絶対的位置を求めるものは何かというと、神様の子供以外にありません。
 もしも神様が一人でおった場合、孤独だろうか、うれしいだろうか? 人が一人もいない所で目玉をキョロキョロさせながら、このようにすると、これは気違いである。だから神様も仕方がない。なぜ創造したか? 相対が欲しい。相対を得て何をするか? 共に愛したいから、相対者としてつくった。愛をどういうふうにして? 神様は人間と相対的関係を持ったならば、どういう立場で関係するか? 神様はしかたなしに最高の愛の基準を願っている。その人は誰か? 奥さんがいなければ子供になるんだね。だから人間を子供の基準になるくらいに、神は愛さなければならない理論的結論がちゃんと出てくる。
 神様の子供になった場合どうなるの? 真心込めて愛される子供になった場合には、父親のものは子供のものに絶対ならないという法則あるの?(ないです)。そりゃ気持ち悪くなるよ。幼稚園にも行かない二歳くらいの子供が友達と遊ぶ時、「私の家はここですよ。ここですよ」。ここと言うのは大きい邸宅であり、その邸宅は何億円以上もの金で造ったのに、その子供は何も知らずに「ここですよ、ここですよ」と言っている。気持ち悪いね。何がここや、ここや。通りすがりの人が聞いたならば気持ち悪くなると思う。しかし、そう言うことによって、ははあ、この子の家はここなんだとすぐ分かるね。
 そうかといって父親が一生涯身を粉にして造った邸宅を、何も知らずして「ここですよ、ここですよ」と言っている息子を見て、気持ち悪く思う者いる? 小さい子が、言えば言うほど素晴らしいよ。そうだろう? だから家は誰のものか? 神のものだろう。宇宙は誰のものだ? 子供のものだ。宇宙を自分のものにしたがらない者は人間のうちに入らない者である。だから、宇宙を占領したくない欲のない者がいるの?
 そういう者は人間の部類に入らない。宇宙を占領したいという欲望を持っていない者いるの? 女の子たちはそういう欲望を持っていないだろう。持っていない者は人間の部類に属さない。これは猿だ。
 だから最高である、完全に最高のものを得て、すべてに愛される立場になった場合には、人間の欲望の定着地はどこかというと、それは無限であり、無限なる神の愛に占領されて愛された場合には、完全飽和状態である。
だから「真の父母と我々」。結局、真の父母は完成したアダムであり、失敗した第一の父母の基準を完成復帰しなければならない、第二のイエス様の失敗した父母の基準を完成しなければならない。しかし、再臨の時代において先生がもっと苦労したのは、イエス様は霊的勝利基台だけを世界的につくることができたんだが、先生においては霊肉共世界的な統一圏のみ業をここまで上がってきている。

 今から三年、我々は結束して日本でも力を出して動けば、日本は世界的に認められるその国になるだろう、なぜならエバ国家だから、今から日本は発展しますよ。発展するようになっている。三年間の期間が過ぎた場合には、発展するようになるのが原理の観ですよ。だからそれを迎えるために、特別にそれを成就するために、今機動隊編成をしたんですよ。分かりました?

 早く人材養成しなくてはならない。人材養成、数が問題である。そう思って、日本において先生にその心配かけるようなことになった場合には、エバとして忠誠を尽くす忠孝の烈女としての使命を果たせません。未来において我々は、フラフラする人間になっては困ります。今にも行ったり来たりする者は、神の信じる者にはなれません。だから絶対変わるな。それが先生の結論になる。

 こういうように素晴らしい歴史的勝利の基台に立って何が欲しい、何が欲しいかというんだね。それ以上のものはないというんだね。ここにおいてそれを得た自分たちの価値を世界に分けて、それを無上の価値の実体者として誇り得るようにして、神が信じなくても、神を信じせしめる主体者になるという信念を持って、絶対、行ったり来たり、あるいは変わるような者になってはいけません。今から三十年、四十年死ぬまで変わらない?(はい)。しっかり手を挙げて。先生は信じて帰るよ。