4月20日(金)、今月の自叙伝書写感謝の集いが開催されました。
今月のタイトルは、「愛の刀で苦悩を断ち切る」です。
以下講話の要点を掲載します。
■「日常の五心」について
『はい』という素直な心
『すみません』という反省の心
『おかげさま』という謙虚な心
『私がします』という奉仕の心
『ありがとう』という感謝の心
■真の愛の刀とは?
神様は、人類を幸福にするために、真の愛という、悪を断ち切る鋭利な刀をもった、人を探していたのです。人類の苦痛のために苦しむ神様の心情をかいまみて、可哀相な神様をなぐさめ、喜びをもたらすために、誰よりも神様を愛している人を探しもとめていたのです。
文鮮明先生は、「何も自慢できるものがない田舎の青年」でしたが、誰よりも、「神を切に求める心、神に向かう切ない愛」があったのです。
そして、「愛の心を持って生き、苦難にぶつかっても愛の刀で苦悩を断ち切れる人」だったのです。すなわち、真の愛を持っていたのです。
では、悪を断ち切る最高な刀である、真の愛とは、どんな愛なのでしょうか。
いかなる、不信、憎しみ、怨み、をも切り取って、愛に満ちた健全な心を回復させる、真の愛とは、どのような愛なのでしょうか?
■人の幸福のために、自分の命までも投げ出していく愛なのです。
「真の愛とは、自分の命までも捨てることができるものです。」それは、まさに真の父母の愛なのです。
「愛の前に自分の命を投げ出していくのが父母の心であり、真の愛です。」
文鮮明先生が言われるのは、自分の命にこだわれば、損得の計算が必ず入る、それゆえ、愛の実践が鈍ってします、そこに、ためらい、とどまり、そして、愛への疑いが入り、ついには、憎しみにかわってしまいます。
自分の命まで捨てる覚悟をしたとき、はじめて、真の愛によって、悪なる心を、断ち切ることができるのです。命の存在する理由は、人のために生きることにあるのです。それゆえ真の愛のゆえに命をすてるのが人生の道理なのです。
自分を捨てきれない愛は自己中心愛であり、命の喜捨を要求する真の愛とのあいだで葛藤するのです。人間の苦悩の本質的原因とは真の愛と自己中心愛の戦いにあるのです。そのため、真の愛の刀だけが苦しみの根源である自己中心愛を断ち切れるのです。
文鮮明先生はそのような真の愛で生きておられるのです。
私たちも、心の書写で、真の愛を心に写して、内なる悪なる心を、真の愛の刀で断ち切らなければなりません。