【今週のみ言】第47回天の父母の日 天一国2年天暦1月3日(陽暦2月2日)第1号


真の神の日

 今までサタン世界によって侵犯を受けていない高次元的な基準で、神様の心情を中心とした一つの回路を造成しなければなりません。このような伝統の最初の基礎の足場が、統一教会で守っている名節です。この日を迎えて記念するためには、自分の生活全体を、この日を中心として結びつけることができなければなりません。また忠誠と精誠をすべて集め、この日と連結させなければなりません。このようにしてこの日を祝うことができてこそ、天が立てた名分と礼法を守る子女になるのです。六千年目に初めて探し出された日が、正に「神の日」です。この日は神様が喜ぶことができ、天地の運勢が総集結する日です。歴史上、前にもあとにもない日です。そのため、精誠を尽くしてこの日を迎え、記念しなければなりません。

 人間が最も願う祝いの日、希望の日があるとすれば、その日は自分が生まれた日でもなく、自分が結婚した日でもありません。自分の国を失った国民の一人として国を取り戻した、もしくは国家が独立した日でもありません。入間が最も希望する日、願う日があるとすれば、「神の日」と「父母の日」です。その日が地上に生じることこそが、私たちの全体の願いになったというのです。「神の日」と「父母の日」が始まれば、「子女の日」も「万物の日」も、自然に連結されるのです。

 今日、この地上に暮ちす人で、「神の日」を見た人は誰もいません。「父母の日」を見た人もなく、被造世界のいかなる万物も見ることもできませんでした。一年三百六十五日が連結されるすべての日の中で最も重要な日が、すべてのものが解決される「神の日」と「父母の日」だというのです。その日は、日の中でも王のような日であり、そのような年があれば、その年は年の中の王のような年だというのです。

 真の父母を復帰する前には、すなわち堕落していないアダムとエバの家庭を探し出す前には、堕落していない子孫ももつことができず、堕落していない万物世界ももつことができません。人間が万物世界を思いのままに主管できる立場に立たなければ、神様も神様としての振る舞いができません。それで、一九六〇年を中心として「父母の日」を策定し、「子女の日」と「万物の日」を策定したのです。父母がいてこそ子女がいることができ、子女がいてこそ万物を主管できるのです。万物を主管するためには生育して繁殖し、地に満ちなければならないのであって、アダムとエバ、二人だけで主管するようにはなっていません。子女は横的な基盤であり、父母は縦的な基盤です。そのため、父母は地上において神様の代身です。このような縦的な基台を備え、万物を主管するようになっているのです。それで、統一教会では「父母の日」を立てたあとに「子女の日」を立て、「子女の日」を立てたあとに「万物の日」を立てました。「父母の日」と「万物の日」、そして「子女の日」は、堕落圏にあるのではなく、神様の主管圏内にあります。すなわち、サタンの讒訴圏を抜け出した位置にあるというのです。そのため、神様と直接的な関係を結ぶことができるのです。

 一九六〇年は、アダムとエバが堕落した長成期完成級の基準を越えた年でした。長成期完成級の基準を中心に完成圏まで上がっていくには、七年期間が必要です。それが第一次七年路程でした。完成基準に立てば、神様の直接主管圏に入ります。そこは内外共に直接なので、心情生活圏もやはり直接主管できるのです。その完成基準を残したまま祝福した年が一九六〇年でした。アダムの堕落によって堕落圏、すなわちサタンの主管圏にいたのですが、このサタンの主管圏を破壊する家庭が現れたので、この家庭に対してサタンは総攻撃をしてきました。しかし、サタンと闘い、ぶつかって追い出し、蕩滅して「神の日」、「子女の日」、「万物の日」、「父母の日」、この四大名節をこの七年間に探し立てたのです。

「神の日」の決定と同時に、地上に神様が臨在できる基準を立てることができました。ですから、これから統一教会の発展は、地上において急速に促進されるでしょう。そのような基準を成し遂げたので、統一教会は真理を中心として、霊界解放とともに地上解放、そして地獄解放へと発展していくのです。なぜなら、「神の日」を迎えたそのときから地獄が壊滅し、サタンも滅亡するしかない立場に行き着くからです。それで、「神の日」の決定と同時に、先生の使命は完成したのです。

「神の日」が現れるまで、どれほど大変だったか分かりません。「神の日」を策定した時が最も大変でした。いくら「父母の日」が立てられたとしても、その「父母の日」を支えられる「子女の日」がなければ、「父母の日」は「父母の日」としての役割を果たせないのです。また「子女の日」を立てたとしても、「万物の日」を立てなければ、「子女の日」が「子女の日」としての責任を果たせません。そのため、「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」が完全に一つになつて、神様の主管を受けなければなりません。そのようにできなかったのが嘆息の要因です。これを連結させるために立てたのが、一九六八年の一月一日に世界的に宣布した「神の日」です。

 アダムが長成期完成級で落ちたので、長成期完成級で家庭を率いて上がっていくしかありません。それは完成の位置ではありません。また、長成期完成級でアダムとエバが落ちたので、先生も長成期完成級から出発して七年路程を上がっていかなければなりません。それで、一九六八年の一月一日になって、ようやく「神の日」を策定したのです。七年路程を越えていかなければなりません。そうして神様の直接主管圏に入り、「神の日」が策定されたのです。「神の日」が策定されることにより、その期間に「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」、歴史時代に失ってしまったすべての悲しみの日を蕩滅し、世界的に本格的な出発が始まったのです。

 「神の日」が設定されることにより、今や天地の前に新しい方面で、発展段階に向かってさらに前進するでしょう。今までの歴史は蕩減の歴史だったので、私たちが苦労して汗を流しながら犠牲になったとしても、それらは蕩減のためのものだっただけで、神様が本当に喜べる苦労にはなれませんでした。しかし、これからは私たちが涙と血と汗を流しながら苦労したすべての実績は、サタン世界において蕩減条件となって流れていくのではありません。

 これから私たちの苦労は、自らのものとして連結され、自らの実績として収めることができるのです。そのような時代圏内に入りました。すなわち、私たちの苦労は、全面的に神様の勝利として決定される時代になったということです。このように栄光の時代圏内に入り、神様が喜べる時代的限界が設定されたので、神様が干渉できる時代を迎えたのです。それで「神の日」を設定したのです。

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