【今週のみ言】責任を持つべき私たち 天一国元年8月04日(陽暦9月8日)第28号


責任を持つべき我々

霊界に行き、一二の真珠門を経ていくためには、どのようにすべきか? 地上でどれほど天の民をサタンから探して回って入ってくるかというのが問題です。

そうするためには、涙と血と汗を流さなければなりません。再創造の真の愛の心情を中心として、サタンの父母以上、サタンの夫、妻、息子娘以上の心情を投入して、涙とともに、血と汗とともに交差するその過程を経ずしては、天国の自分の民を所有することができません。この数の比例に従って、あの国の栄光の位置に、神様の前に近く行くすべての条件の成立がより分けられるということを知るべきです。

文総裁は、一生を経て、国だけでなく世界を…。なぜ? 霊界に行っている人たちまでも、全部真の父母の恵沢を受けるべきです。ダンベリーの監獄に行き、二月一日、地獄と天の門を開く式をしました。それを開門するすべてのことを準備しなければいけません。ですから監獄も行かなければならないのです。

このように、千辛万苦恨の峠を越えに越えなければならず、大洋が広いといえばそれを泳いで渡っていくのと同様に、山が高いといえば、裸足でも白雪が積もっているヒマラヤ山頂を越えなければなりません。そのように、歴史の悲惨、それ自体を越え、すべての勝利の覇権的基盤を立てたという事実が驚くべきことです。悪魔自体がついて来ようとしても、ついて来れなくて、離れまいとしても、離れざるをえない受難の道を経てきたということを知るべきです。

自分の家、自分の息子娘が厳粛な場にいるのです。第二の神様です。おじいさん、おばあさんは、昔を代表した神様に代わり、お父さん、お母さんは、この時代を代表し、息子娘は未来を代表したのです。この三時代を過去、現在、未来の神様の顕現者として侍るすべを知るべきです。息子娘をたぶらかし、妻をたぶらかし、夫をたぶらかし、父母をたぶらかす人は、地獄に行くのです。為の愛、生命までも投入して忘れることができる真の愛の核を中心として、家庭と国家と天地がつながるようになっているのであって、それ以外にはありません。

そのような核を通じた心情的内容を持って、天国の民をどれほど復帰するかという問題が、今日私の国の統一の解決の秘訣です。他の所へ行って、今日の私の国の統一と同様に、その国を同じ立場に立って、あらゆる精誠を尽くし、どの国にも負けないよう、まず天の前に奉献しなければなりません。

旧約時代は物、新約時代は息子娘、成約時代は自分の夫婦、その次には神様です。堕落で神様を地上に迎えておけず、サタンを迎えておいて、神様と離別したから、今は神lを迎えておいて、全部つなげなければなりません。

それゆえ、皆さんの物は皆さんのものではありません。物は、旧約時代に該当するのであり、息子娘は新約時代に該当するのです。旧約時代には、物を犠牲にして、息子娘の行くべき道を築くためのものです。そして、来られる再臨主、真の父母がこの地に来て苦労することは、神様をこの地に迎えるためなのです。しかし、サタンを地に迎えたので、これが地獄です。神様を迎えなければなりません。これは真の愛でしなければなりません。

再創造は、投入して投入して忘れた、真の愛の起源を通じて、神様を迎えることができる物質と子女と自分の実体全部を結託させて、このすべてが、真の愛とつながった神様のものであるという言葉が設定された以後に、再び分配されて、子女の所有時代につながるのです。父母の所有、子女の所有時代に分配されるのです。(二一一・三五二)

・ 我々の使命

これから我々がすべきことは、真の父母に侍ることができる基盤を築き、その方の前に世界の兄弟を糾合することです。また、このような責任を背負った先祖たちとして、後孫たちが背負う十字架と迫害の道をなくしてやろうということです。これが我々の本然の使命なのです。

神様が人類世界に統一された父母の位置、アベル的世界とカイン的世界が互いに一つになった基盤の上に立って初めて、万有の主人公として、父母として登場することができるのです。

今日この地上に暮らしているすべての人たちは、今まで父母がなく暮らしている子供たちと同じです。そうして、戦っています。それゆえ、神様は父母の立場で現れて、初めて彼らを教育して「おまえと今戦っているあの人が誰かというとおまえの兄であり、おまえの弟だ」ということを教えてやらなければならないのです。それは、神様以外には分からないのです。

悪なる父母によって、真なる理想的父母が去ってしまい、理想的子女の因縁を失った基盤で、サタンのいけにえになったために、理想的な父母が出てこなければならず、理想的な子女の教育を天が再びしてやることができる時にならなければならず、そのような使命を受け継ぐ一つの宗教が出てこなければなりません。そのような宗教が統一教会であるということを知るべきなのです。

それで、統一教会では何を誇るか? 真の父母の歴史を誇るのです。(拍手)その次には、真なる子女が結束しなければなりません。真の父母といえば、自分の一族だけ愛するのではなく、世界的であり、宇宙的でなければなければなりません。真の子女とは何かというと「私はアメリカの国民しか知らない」という者ではないのです。皆さんは何ですか? そうであってはいけないのです。ここでは民族感情を超越しなければなりません。民族感情を超越しなければならないのです。誰の名で?(神様の名で!)神様の名で。堕落は誰の名で?(サタンの名で) 。サタンの名で。我々は神様の名で堕落線以上をジャンプして上がらなければなりません。そうして、アダムの頭の上にいた神様と同じく、我々の頭の上に神様がいて、その方が直接指揮しなければなりません。

それゆえ、堕落しなかった真の父母と神様を中心として、真なる血肉を世界的に糾合して新しい世界に編成していくのが統一教会の道です。そうすれば、一家庭が氏族になるのであり、氏族が民族になるのであり、民族が国家を成して世界を制覇するでしょう。堕落した世界が、このように落ちるようになったのを、我々は新しく出発して上がっていかなければなりません。このようになった世界と、このようになった世界的基準で、接触する接線地を逆さまにひっくり返しておく一時がなければなりません。その中間線に接続する時が、どんな時かというのです。皆さんは、それを知らなければならないのです。(八六・二三〇)

現在我々統一教会は、真の父母がいますが、その真の父母は、どんな立場の真の父母ですか? 統一教会の中で真の父母であって、国を越えず、世界を越えなかったことを知るべきなのです。ですから、国家、世界のサタンが残っているために、まだにらみつけているのです。分かりますか?

それで、我々統一教会は、教会に真の父母を迎えることを、国家と世界と霊界まで拡大させる運動をするのです。これが今日、統一教会の運動であるということを知るべきなのです。今、時が近づいてきているのです。国家統一教会、国家ペアレンツ(parents)として迎えうる環境が、今近づいてきているのです。(一二四・三〇九)             

                       「天聖経」 - 真の父母 -