【今週のみ言】苦労を密室に貯蔵しておきなさい。 天一国元年天暦3月12日(陽暦4月21日)第10号


「分かってくれることを望むな。苦労を密室に貯蔵しておきなさい。見えないことを見て喜びなさい。」

(み旨の道176頁)

≪従祖父文潤國牧師≫

 私のおじいさんの代を見れば、三兄弟がいましたが、末っ子のおじいさんは牧師でした。このおじいさんは、三・一独立運動の平安北道の総責任者として、全国の責任者たちと内密に計画をしてきました。そして、五山学校の職員と生徒および教会信徒、五山住民たちを率いて、万歳示威運動を繰り広げました。この時、主謀者として日本の憲兵に逮捕されることによって、獄中で苦しい生活を二年間されました。獄中の苦しみから放免されてからも、故郷で楽に暮らすことができず、一生の間他郷暮らしをされました。日本の警察の迫害から身を避けながら、江原道旌善で生涯を終えられたのです。

 すべての財産が、おじいさん(文致國氏)に相続されたのですが、そのおじいさんの牧師だった弟(文潤國氏)が、その財産を担保に取られ、すべて使ってしまったので破産してしまいました。それこそ、私の家は一瞬にして破産してしまったのです。そのことによって、私の家の人々は、苦労をたくさんしました。

 そのあとには、そのおじいさんの弟が他人の鉱山まで売ってしまったといううわさが立ちました。その当時、信徒の中に鉱山をもっていた人がいたのですが、その信徒の鉱山まで売ってしまい、なんの音さたもなく消えてしまったというのです。

 ですから、おじいさんも甥たちもそのように思っていたし、文家全体、村全体、近くの村までも、そのように思っていたのです。ところが、そのおじいさんの弟がもっていたお金がどこに行ったのかというと、上海臨時政府に行ったのです。

 その時のお金で七万円ならば、相当に大きいお金ですが、そのお金を全部上海臨時政府に送ったのです。そのようなことをしながら、結局外地で世を去りました。そのようなことをしたので、天が愛することのできる立場に立つことができたのです。それこそ自分のすべてを犠牲にし、信徒を犠牲にし、門中を犠牲にする立場に立って、国のために一生、放浪者として過ごしたのです。

 先生が韓国に下ってきた時、親戚といえば、その方しかいませんでした。夢に、その方が血族の従弟(文龍基長老)に現れて、どのようにして亡くなられたのか、一部始終を説明して住所を知らせてくれたので、その住所をもって従弟の龍基がそこを訪ねていきました。訪ねていったところ、その時は既に従祖父は亡くなられていて、すべてのことが夢に現れたそのままで、間違いないとのことでした。

 私の従祖父は、死んで旌善の谷間に埋められたのですが、それがどのようにして分かるのでしょうか。多くの試練の中でも国を愛し、監獄に行ってもどこに行っても、国を愛する一念を中心として、国の相対的基盤を備えるための教育をしました。そのような基盤があるので、いつ来ても活動できるのです。ですから、直接来て教えてあげることができるのです。そして、文龍基長老も啓示を受けて、従祖父が暮らしていた住所を教えてくれたので、探し出して城州に迎えたのです。

 私が幼い時のことです。数えの七歳か八歳くらいの時でした。従祖父が日本人たちに捕まえられて、二年近く監獄生活をして出てきました。従祖父が監獄生活をしているので、独立軍の軍資金の調達に支障が生じ、どれほど困難に遭遇したのか、従祖父が出てきたという消息を聞いて、独立軍たちが夜中の一時、二時にも人目を避けて訪ねてきました。

 母と父は、私たちのような子供は布団をかぶせて見ることができないようにし、そばを煮込み鶏を料理して彼らを接待しました。そのようなことがきのうのことのように、目にはっきりと浮かびます。その時、私が考えたことは「あのように立派な従祖父が、国のために生きてきたのに、なぜ監獄に行かなければならないのか。日本よりも韓国がもっと強かったら、このような姿に、このようなことにはなっていないはずなのに、力がないのでそうなのだなあ」と結論を出したのです。

(真の御父母様の生涯路程 1