【今週のみ言】蕩減復帰の峠を超えましょう 天一国元年天暦2月13日(陽暦3月24日)第6号


神の摂理歴史における蕩減復帰

なぜ神の摂理歴史に蕩減という話が入ったかということが問題です。人間の先祖のアダムから今日まで、ずーっと続いた先祖たちの中で罪をつくらない者はいないのです。あなたたちも、罪をつくってはいませんか? このような問題を聞かれた場合に、罪をつくらなかった人はいないのです。あなたたちにつながる先祖たちの罪は、みんななくなりません。ですから、歴史は死んでいないのです。生きているのです。多くの先祖伝来の罪が重なるし、それは消えていかないのです。

 そのような血統を連ねて、原罪が伝授されてきたのですから、あなたたち一人ひとりを平面的に見た場合に、縦的に先祖からつながった罪によって、各自がみんな違うのです。ある者は小さい山になっていたり、大きい山になっていたり、富士山よりもっと高い山であったり、その次の山であったり、そういうふうになっているのです。それをどのようにして清算するか、神様は問題視せざるを得ないのです。それは蕩減の条件金と同じように、蕩減の量を決めて、それを払った場合にのみ、許してあげるように考えざるを得ないのです。

 サタンも、そういう立場では、人間救済をする神様の道を塞ぐことはできないのです。それは、もともと神様が主人だからです。過った内容を除いてしまえば主人のほうに戻るようになっているのが原則なので、サタンも原則は無視することができないのです。そういう条件で、人間を中心として罪の量をいかに減らすかということです。神様が停止した場合には、サタンはそれに応じて、そういうふうにやらざるを得ないという契約になっているのです。

 これを蕩減して罪を許すには、金とか、知識とか、権力などではできません。人間が罪をつくったのですから、人間を中心として悪なる者を蕩減するには、善なる者が犠牲になるのです。代表的立場で犠牲になって、サタン全体から反対されるのです。神様が一〇〇の罪の量を蕩減するための中心的人物として立てたとするならば、サタンはそれに相応して、周辺から反対し攻撃するのです。その攻撃の量が蕩減の量を超えた場合には、サタンがそれを弁済しないといけないのです。それに及ばない場合にも、神のほうは攻撃することができないので待つというのです。

 ですから、そのように神様のほうから送った人たちが誰かというと、良心的人とか、宗教的責任者とか、そういう名前の人々なのです。宗教はサタン的舞台を壊滅させる方便の地上の基台ですから、全体をまとめる中心の人物として、宗教者とか、良心的人とか、そのような特別の名前を持つ人を中心人物として立たせるのです。だから、すべて問題は中心者と一つになることです。その人の教えとか、その人の業績を共にすることによって蕩減されるのです。

 それで、蕩減の分量を超えた場合には、サタンの手を離れて、神様が次元の高い手でもって一段階、二段階と高めていくのです。そのように歴史を通して、個人蕩減、家庭蕩減、氏族、民族、国家、世界、天宙蕩減、神様解放まで行くには、真の父母と共に、その蕩減の道を行かなければならないのです。

 ですから、歴史路程には義人や聖人が生まれてきたのです。そういう人たちは蕩減の中心的、天的派遣者として、地上で悪魔の攻撃を受けて、幸福な運命を万民につなぐために自らは不幸な立場に立って迫害を受けていくのです。ですから、宗教の歴史は、神様のほうは善なる良い人たちばかりですが、迫害を受けて悲惨な運命の道を行くのです。そして、その人に同情する部落や町や国が一つになることによって、次元の高い蕩減圏を越えていくのです。

 それで最後に、人間であれば皆、八段階の道があるのです。僕の僕から僕、それから養子、庶子、実子、お母さん、お父さん、神様までです。そういうふうにして、縦的な蕩減の道を越えていくのです。

 本来は、その八段階を親の立場に立つ神様がなすべきなのに、神様の代わりに宗教がその相対として地上で打たれて、相対圏の全体を蕩減して共に連れて上がってきたのです。ですから多くの宗教が生まれたのです。シャーマニズムから始まって、歴史の背後にはたくさんの宗教が生まれたのです。山頂を中心とすれば、その周辺に三六〇方向があるようにです。

 そのような宗教をまとめていくには、個人的に見た場合に良心と肉身とが争っているので、良心が一つの蕩減条件を立てて犠牲になるのです。良心が肉身に打たれた場合には、大変なことになるのです。ですから神様が先に打たれた場合には、打つ者の所有権を打たれた者に伝授するという公式によって、蕩減の道を開発してきたのです。そうして低級な宗教は、どんどん、どんどんと高級な宗教に吸収されていくことによって、蕩減の次元が高まってきたのです。

 今、世界には四大宗教がありますが、その四大宗教の上に立って最後の蕩減をするためには、全体の価値の中心が定められて、その中心が攻撃されることによって全世界が蕩減の量を超えた場合に、サタンはそれ以上に攻撃することができなくなるのです。もし、それを超えて攻撃した場合には、いっぺんにけられてしまうのです。歴史は、こういう蕩減の路程を積んで発展してきたということを、一般の人々は知らないのです。先生に話をさせれば、そうならざるを得ないのです。神様がいて、サタンと紛争するのですから、そういう解釈でもってまとめていくのが当然だと思います。

 それで歴史路程において、蕩減復帰という言葉が介入してきたのです。そして最後には何を蕩減するのか、サタンも知っているのです。最後には、最高のもので蕩減するのです。最高のものとは、最高の神様の子供なのです。子供の中でも独り子です。ですからイエス様も神様に向かって、「私は神様のひとり子だ」と言ったのです。これは、宇宙的な宣言なのです。

 神様の復帰の目的は国ではありません。家庭なのです。アダム家庭で個人を失い、家庭を失ったのです。個人紛争、夫婦紛争、子女紛争、これが歴史の堕落の根底なのです。そのような家庭を中心として、サタンの国、サタンの世界が構成されてきたのです。ですから、復帰の目的も全世界を投入して、最後には家庭を中心として左に行ったものを、全世界を代表して右のほうに転換させていくのです。そのように、家庭につなぐことによって、氏族、民族、国家、世界すべてを復帰していくのです。
                             
                          1995年1月19日 韓国・水沢里中央研修院